ひねくれた大学生が思うこと

こんばんは しばらくの間なにも書くことが出来てませんでした

この頃の秋っぽい気候に弱らされてしまい もともと精神が正常とは言い難いので、とても不健康じみた人間になっています 今日は久しぶりに思っていたように過ごせて気分がいいからなにか書こうと思ったんです もっとまともに生きたいと毎日思いますが出来てたら今頃は心身ともに健康でしょう悲しいかな

大学はほぼ毎日1限から講義や実習ですが、今週は1日も1限に出席しませんでした 恐ろしいことです

そんなことはどうでもいいよはやくタイトルのことに進もう

その前に、ひねくれるってよく聞くしわたしも自分のことをひねくれてるとか言うけどひねくれるってどういう状態だって思ったので調べました

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ひねくれたの同義語 - 類語辞典(シソーラス)

 

類語で見た方がニュアンスが分かるかなと思ったので

と、いうことで「捻くれた」思考回路の大学生が思うことを書きますね 非常に自己中心的な内容になりますということを予め書いておきます

 

世界が狭い人間はさみしい

ここの世界は物理的なものではなくて、いわゆる視野です

大学にいくと世の中にはたくさんの人間がいるなと感じるものです(小並感)

おそらく社会に出るともっといろんな人の波に打たれる(?)のでしょうが、大学も面白いものだと感じます

こんなこと言うなら自分は視野が広いか、いろいろ見てきたかと言われるとそうではないのは十分に自負してます でも、自分が精神を少しおかしくしてしまったおかげでいろんな世界に触れることができたとは思ってます

心が健康的すぎて世界が狭い人についてひとつ

精神が健康なのはおそらく生きていきやすいと思います わたしは健康じゃないので、想像です 健康な人も様々な苦労をされてると思いますそりゃもちろん 人間だれしもハードモードのときがあるでしょう

わたしの周りでは、人の感情を読み取れない人は心が健康的な人が多いかなと思います

基本的に人の感情で読み取りにくいのは圧倒的に後ろ向きの感情ではないでしょうか わたし自身は、ネガティブな感情はポジティブなそれと比べて他人と共有することが難しいと思いながら生活するようにしてます

 そうじゃないと、うつを発動してしまったときに理解してもらえないとヒステリーを起こしてしまいそうになるからです 防御線みたいなものかもしれません

でも、理解はできなくてもその感情に気付いて手を貸してくれる人もいるわけです ありがたいことにわたしの周りはそういう人が結構多くて、そのおかげでなんとか今まで生きてこられているんだと思います ありがとうございます

わたしもそうですが、負の感情が生まれてしまうとうまく消化できない人にとって恐ろしいのが、心が健康的な人だと思うのです

人間だれしもその人の”ものさし”というのがあると思うのですが、健康な人のものさしは、自分にとっては非常に怖いです そういう人たちのものさしのマイナスな感情の尺度が圧倒的に自分と違うと感じてしまうからです

わたしがうつ気味になった当初は、母はそのタイプだったと思います

「なにがそんなに悲しいの?」 とよく聞かれ、わたしも自分のナイーブな気持ちをうまく表現できないのでなんとなくと答えてましたが、その度に分からないと逆ギレのような態度を取られました それでも母は辛抱強くわたしと向き合ってくれたので、今ではそんなこともなくなりましたが、なんとなくとか分からないといった答えは未だに理解できないと言われます これが、ネガティブな感情が他の人には理解されないものだと自分で思っている大きな原因の一つだと思います

大学にもいたんですよ いろいろって言ったら逆ギレするような子が 大学で逆ギレされてヒステリーを起こしそうになりました

いつもは理解されないと開き直るのですが、あまりにも陥ってしまっていて自分も余裕がなさ過ぎたのがよくなかったです

陥ってるときは神経が異常に尖っているので些細なことでさらに感情がマイナスに走るのですが、その子はその神経をさらに逆なでするような態度をとってきたんです わたしが泣いていてもお構いなしにぐさぐさ刺してきたのにびっくりしました

この子は本当に理解がない子だ 今まで周りに健康な子しかいなかったんだろう とそのときは被害妄想じみたことを感じていました

もしかしたらその子は、そういう人の表情や感情を読み取れない上にネガティブな感情の種類が少ないのかもしれません

わたしも精神がおかしくなる前は素晴らしく健康な人間でした 昔のわたしは本当に人の気持ちに鈍感で最悪な事ばかりしていた気がします

その子がどんな人生を送ってきたのか知りませんが、あの子は今までの人生で挫折とかそういった経験があまりないのかもしれない、実際なんでもこなせるもんねと後で他の友人に言われました

他人との関わりは、その人の人生経験値が物を言うと思います

自分の感情とか、今まで関わってきた人たちの感情が大きく影響すると思っているわけです 自分の経験と、他人の経験をひっくるめてどれだけ経験値として自分に蓄えられるか

心が健康的な人は、おそらくその人自身が強い、自分が確立されてるのだろうと思います それは大事なのでしょうが、あまりにも世界が狭すぎる

わたしは心が不健康であるために毎日苦しんでいますけれど、逆にいろんな気持ちとぶつかれたし、いろんな人と関わることができたと感じています 

すこし大げさな表現ですが、他人の感情に気づけないことほど寂しいことはないと思います 感情の持ち主も相手もお互いフラストレーションだろうと感じます

でも、百発百中で相手の気持ちが分かる人もいないわけです

それでも、気持ちが分かった方が損することは少ないと思うわけです 難しいことですけど

書いてたら、わたしの中では 感情=世界(視野)ってなっているのだねと思いました

感情なしに動くことなんてほぼないでしょうし、人間だれしも感情に振り回されてると思ってるからそんな経路が出来上がってるのかもしれません 考えが偏りすぎ…

世界を広げるためには成功も大事でしょう でも失敗とか壁にぶち当たる方が世界の広さに気付けると思います そこでもしかしたらネガティブになりすぎて憂鬱な世界に飛び込んでしまうかもしれませんが!笑

 

つまりなにが言いたいかというと

みんな一回失敗やらなんやらして うつになって!

それで、今までの自分の世界がしょぼいものだったことに気づいて

 

いつかきちんと自分の思ってることをきれいに書けるようになりたいと思った

捻じれに捻じれたまとまりきらない内容だけど

おしまい!