タイトル考えるのが苦手です

どうもです

もう2月も残すとところ1週間ほどになってしまい、はてな放置しすぎてやばい 何か書こうと思いやってきました

 

2月の初めの1週間は大学のテスト期間でした すべて結果も発表され、無事進級できそうでほっとしています

テストが終わってすぐに1年生の実習にお手伝いボランティアとして参加してきました 後輩たちを見ると1年前の自分が懐かしく感じて、1年でも成長するもんだと自分のちょっとした成長を実感してすごく充実してた気がします

 

実習も終わって実家に一旦帰り、成人式の後撮りをしてきました 前回の記事で撮るかどうしようか悩んでいることを書いたのですが、母がいろいろ手配をしてくれてきれいな写真で残ることとなりました 誕生日に合わせて撮影の日程を組んでくれたので20歳になる日に振袖を着ることができて、成人を実感しました 撮影の後に近くに住んでる親戚とか、昔お世話になった近所の方々にあいさつに行ってたくさんお祝いの言葉をいただいたのが胸に沁みました

ここ最近の日記ですねこれは!

 

 

なんか書くことあるかなあって考えてたんですが、試験期間に感じたことで少し書こうと思います

完璧主義をやめた話

先の記事で書いてますが、高校時代は不登校でした 完璧主義から始まったものだと自分では思っています

なんかよく聞きますよね 完璧主義の人こそ鬱になりやすい!みたいな わたしは自分を鬱だと思いたくなかったので、完璧主義の人は自分で自分をつぶしやすいって考えてます

完璧主義ってどの完璧が完璧なんでしょうかね

人はそれぞれ完璧のハードルの高さが違うと思うんですよね わたしの完璧7くらいがもしかしたら周りの人の10かもしれないし その逆だっていくらでもあるわけです

自分の達成すべきハードル、ここでは10だとして、それが達成できて 終わった~!ってなることを考えてみてください

自分の7が他人の10だった場合、自分は10まで完璧に終わらせるために周りの人より3つ分頑張るわけです知らないうちに これが周りの10と同じスピードで自分の10が達成できれば完璧主義は辛いものにならないわけです でも多少スピードがあるだけじゃ大抵の人は3つ分終わらせるために時間がより多くかかると思うんです

この余計にかかってしまう時間とやらなくちゃいけない事の量は反比例的ではないでしょうか

時間は無くなるのにやるべき事は増えていく なのに完璧主義は自分の7くらいでみんなと同じ程度ということになかなか気づけない場合、全部を10まで持ち上げないとと思って自分の時間をさらに費やすわけです 休みに使うべき時間がなくなっていっちゃうわけですね

時間とやることの量が逆転しちゃってやることに押しつぶされるともうアウトです

完璧主義じゃない人は「時間がない!とりあえずやってしまおう!」って感じで6くらいで打ち切るかもしれません おそらく周りの人に頼ればその6も8くらいまでは引き上げることができるでしょう 普通はそんな感じでいいんです 学校とか特に課題なんてまずは提出して及第点がもらえればいいんです多分 高校時代は課題を提出というよりまず出席しないとという生徒だったのでそこら辺の学生生活がよく分かりませんが…

でも完璧主義って6で切り上げるとかできないんですよね10までしないと気持ち悪くて しかも周りの人に頼るのがすっごい苦手な人が多いと思います だから余計、自分の力で10まで上げようとして時間がかかるんだと思います

病院の先生にも もっと周りのみんなに頼ったら?って言われたのを覚えてます 課題見せてとか ここの問題わからないから教えてほしいとか もしかしたら周りのみんなはそうやって乗り切ってたのかもしれないですね

わたしは高校時代、英語の授業が嫌いで嫌いでたまりませんでした

何が嫌だったかというと、指名されたら立って問題に答えるという授業スタイルがもう本当にダメでした 完璧主義からしたら指名されて答えられないのもストレスになるのかもしれません 今考えれば間違えたって何も悪いことなんてないんですけどね どうしても自分の中で許せなかったんでしょうね あまりにも授業に出ないので困った担任が、英語の担当教師にわたしを指名しないでくれと頼みこんでくれたそうで甘ちゃんな生徒だったと思います本当に

甘ちゃん生徒な対応をしてもらったのも、指名されて答えられないとすごい呼吸がし辛くなったり、そのあとすぐにぽろぽろ泣いちゃうようになったのが原因だったでしょう その頃はだいぶ精神がやられていたので少しでも自分の発言が否定されたりすると自分を全否定みたいなとんでもない被害妄想が働いて、まともに授業を受けられる状態じゃなかったんですね 改めて考えるとよく卒業できたなと思うくらいです

周りのみんなは授業前に問題の答え合わせとか、分からない問題を一緒に考えたりとかしてたんでしょうし、分からないときは適当に答えたりしてたんですが、どうにもそこでまわりに頼りきれなかったのがさらに悪化させていく原因になったかもしれませんね

大学に入ってからは、高校時代のわたしを知る人たちから頑張りすぎちゃだめだよと声をかけられるようになりました あと、大学では自分じゃ到底かなわないような努力家な友人ができたおかげで、自分と他人の完璧のハードルは高さが違うということにもようやく気が付きました さらにその友人はわたしの高校時代の荒れっぷりに理解を示してくれる方だったので、思う存分頼らせてもらっています

わたしにとってその友人の10はわたしの5だと思います でもその10にたどり着くことはほぼ不可能だと思うくらい友人の努力は恐ろしいものです でももしかしたらその友人からしたら彼女自身も彼女の10ではないかもしれませんね

完璧ってそういうものだと思います 自分一人で達成とかほぼ無理だし、他人と自分の完璧のハードルは高さが違います 難しいけどうまく生きるには力を抜くのが一番なんだろうなって 完璧ってここぞという時にだけしっかり達成できればそれで完璧だと思います

手を抜けるときは適当に抜く、抜いちゃだめだけどどうしても時間足りないとか限界を感じたら周りの人に助けてもらって10が無理なら8とか9でもいいっていう心持ちでいるようになっていくらか気持ちが軽くなったのは間違いないです 学生の間はこんな感じでもいいのかなって思います もし社会に出た後に壁にぶち当たったらそのときはその時です 高校時代の自分ではこんな気楽な考えには至らなかっただろうなと感じます

テスト勉強中も友人に助けてもらって、ふと感じたことでした

おしまい