放置しすぎてやばいどころの話じゃない!

おはようこんにちはこんばんは

お久しぶりすぎてあいさつの仕方も忘れてます  最終の記事、なんと1年前でした なんと! 

 

この前、21歳になりました もう成人して1年過ぎたんですね はやい

20歳、派手なことはなかったですが地味に忙しくて楽しい毎日でした

いろいろあったんですほんと これからしばらく20歳の振り返りとしてぽつぽつと記事でも書いていこうっかなあと考えてます

で、とりあえず1年前何書いてたんだと思って記事を読み返したら 懐かしすぎる実家に帰ってお味噌汁飲むときみたいな感情になる(?)記事あったんでこれの続きじゃないけど これに対する今のわたしの気持ちを書こうかなって

 hatenya0221.hatenablog.com

朝起きない!学校行かない!不登校

とある教授に「不登校でした」と話したことがきっかけで書いた記事です

20歳、大学3年生のわたしにとって一番とも言えるほど大きかった出来事は、ある人に出会ったことです 大学の助教授なんですけど、3年になって始めて教わる先生でした 

 

この助教に、「高校の時はほんとに学校行ってなくて… 起きれなくて大学の授業出れないことは今もありますけど」 と話したときに「授業に出れないのは起きれないのが問題じゃないでしょ」とさらっと返されたことがありました

 

起きれないことが問題じゃない 最初言われた時、わたしは???ってなりました

「起きて、授業の途中からでも間に合うなら出ればいい。間に合わないなら午後からでも来ればいい。起きて、その後の問題でしょ?」

いや、確かに!というより、それでしかないんですが… 起きて、学校に行けばいいって話なだけなんですけど

高校時代からこの先生のこの言葉を聞くまで、わたしの思考回路は

起きた→間に合わない→もう行かない

この超完結型完璧人間タイプだったわけです 間に合わないならもうおしまいや

でも、この先生の思考回路は

起きた→間に合わない→途中からだけど間に合う→準備しよ

間に合うに切り替えて準備始めれるわけですよ

多分、世の中この間に合うに切り替えることができる思考回路の人間が多いと思いますが、不登校になりやすい子はおそらくこっちの回路じゃないんです

不登校になりやすい子って、完璧主義が多いって言われてます

もしかしたら、完璧主義人間だったわたしと同じような思考回路で「最初に間に合わないなら間に合わない」なのかもしれません(実際、わたしは先生に言われるまで間に合うに切り替える思考回路を全く持っていなかった…)

 

お昼の12時に目覚めてしまった高校生のわたしに、もし、今のわたしが声をかけれるなら「5限から、5限の途中からでも大丈夫だから準備しよう」って言ってあげたい

上に張り付けた記事では、どうして学校に行きたくないのかも分からないけど行きたくない気持ちだけが残った当時を振り返っています

さらに時間が経った今、考え直してみると、完璧を求めてしまうからこそ 朝から行けない、授業に最初から出席できないことに対する劣等感が強く、それから逃げてしまいたい気持ちに支配されていたのかもしれません

 

ここまで書いてきたんですけど、振り返ってみて、わたしが躓いた原因も、躓いたあとそのまま転んでしまった原因もやっぱり完璧主義がコントロールできなかったことだなと痛感してます

完璧主義って悪いことじゃないんですよ 長所と短所もいってみれば裏と表じゃないですか 心配性って長所としてなら入念に準備ができる、短所としてなら考えすぎて行動に移せない みたいな 時と場合にうまく匙加減出来てこそかなって思います

完璧主義をうまく調整できるようになるには難しそうですよね だって匙加減すら許さないような完璧を求めてしまうわけですから

自分のなかで匙加減が許されないなら、周りの人のスプーンも合わせて考えてみるといいのかな 意外とみんな摺り切り一杯じゃないんですよ 意外とみんな小さじ1/2みたいな感じで適当にやってるから

今回の先生の話は、間に合うにシフトチェンジできる思考回路っていう話でしたけど、「小さじ1/2くらいの時間でも出席できる=間に合う」ってことです(?)

 

当たり前のことなんですが、思考回路がわたしと先生では違ってました もっと言えば思考回路の始まりになる考え方が違ってたわけです

わたしは最初から出れないならもう出ないっていう摺り切り一杯の考え方 一方、先生は、途中からでもオッケー!っていう完璧でなくても1/2でもいいという考え方だったわけです フレキシブル~!ナイス匙加減!(※完璧主義からみた感想です)

 

思考回路って、いわゆる"道"らしいんですよ 

思考の道って言うんですかね 自分の思考が、踏みならした道が思考回路

脳みそが草むらだと考えると、思考回路はその草むらの中の獣道って考えると分かりやすいかもです

じゃあもしも、今回の話で出てきた「間に合うに切り替えることができる」思考回路を自分も欲しい!ってなったらどうすればいいのか

その思考が歩くための道を新しくつくらないといけません つまり、何もない草むらを歩きまくって踏みならさないといけない

新しい思考回路を得るためには、最初のうちは無理やりその思考へと持っていって、だんだん踏みならされると、思考は習慣化して思考回路として成立する

だから、最初のうちは 「起きた→間に合わない→けど、午後からなら間に合う→準備しよ」っていう、無理やり間に合うに思考をこじつけていかないといけないわけです 楽じゃないね…

わたしも先生に言われたあの時は目からうろこ状態だったのですが、なるべく間に合うっていう思考へと切り替えて準備するように頑張ってます 

行かない後悔やら罪悪感やら劣等感やらでジメジメするより、3時間くらいでも行って勉強した方が気持ちが楽なんですよね あ~今日もわたし活動したっていう成果と達成感(笑)

 

ここまで書いたんですが、いまいちまとまりのないまま わたしの力が尽きそうです ごめんなさい 

 

完璧主義と匙加減を書いてて、そういえば「諦め」について気持ちをまとめておきたいことがあったのも思い出したので、それについても今度書きたいと思います

 

前の不登校記事に比べて、すごい前向きな記事になりました

少しずつですが、あの苦しかった時期を糧にできるような余裕が出来てきたのかなとも思います 成長できてるといい

 

おしまい